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東京地方裁判所 平成3年(ワ)18207号 判決

原告

小山順道

被告

株式会社大越酒類販売

ほか一名

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告らは、原告に対し、各自金一億三九一六万一二三〇円及びこれに対する平成元年一二月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

一  争いがない事実

1  原告は、自転車を運転中、平成元年一二月一日午後八時一五分ころ、東京都杉並区高円寺南一丁目一九番八号先路上の横断歩道(以下「本件横断歩道」という。)において、被告堤洋一(以下「被告堤」という。)が運転する普通貨物自動車(以下「被告車」という。)に衝突され、傷害を負つた(以下「本件交通事故」という。)。

2  被告車は、被告大越酒類販売(以下「被告会社」という。)の所有である。

二  争点

1  原告の主張

(一) 被告堤の過失の内容は、次に主張するとおりである。

(1) 被告堤は、道路の最高速度が時速四〇キロメートルであつたにもかかわらず、時速四五キロメートルないし四八キロメートルで走行したから、道路交通法二二条に違反した上に、夜間の走行であり、被告車の進行していた道路の左前方の見通しが悪いのであるから、右最高速度より減速しなければならなかつたにもかかわらず、これを怠つた。

(2) 左右の見通しがきかない交差点に入ろうとするときは、徐行しなければならないにもかかわらず、被告堤は、時速四五キロメートルないし四八キロメートルで交差点に入ろうとしたから、道路交通法四二条一号の趣旨に違反した。

(3) 車両等の運転者は、当該車両等のハンドル、ブレーキその他の装置を確実に操作し、かつ、道路、交通及び当該車両等の状況に応じ、他人に危害を及ぼさないような速度と方法で運転しなければならないにもかかわらず、被告堤は、最高速度を超えた速度で、左側の見通しのきかない交差点に入つたから、道路交通法七〇条に違反した。

(二) よつて、原告は、被告堤に対し、民法七〇九条に基づき、被告会社に対し、自動車損害賠償補償法三条本文に基づき、損害賠償の請求をする。

2  被告らの主張

(一) 本件交通事故の原因は、原告が、本件横断歩道の信号が赤であつたにもかかわらず、酩酊状態で自転車を運転して本件横断歩道に進入したからである。

(二) また、仮に、被告車が最高速度である時速四〇キロメートルで走行していたとしても、次に述べるように、本件交通事故を回避することはできなかつたから、被告堤には過失がない。

すなわち、被告車の進行していた道路の左前方には高さ一・八五メートルのコンクリート塀があるため、被告堤は、自転車を事前に発見することができない。そして、コンクリート塀が終わつた所で自転車を発見しても、自転車が赤信号を無視して本件横断歩道に進入するか直ちに分からないこと、危険を感知した運転者が急ブレーキを掛けるに要する反応時間が平均〇・七五秒であることから、仮に、被告堤が、自転車を発見した地点において、時速四〇キロメートルで走行し、急ブレーキを掛けたとしても、被告車と自転車は一ないし一・一秒後に衝突するのであるから、被告堤には、本件交通事故につき結果回避の可能性がなく、したがつて、過失はない。

(三) よつて、被告堤には、過失がないから民法七〇九条所定の損害賠償責任がなく、また、被告会社には、本件交通事故の原因が、本件横断歩道の信号が赤であつたにもかかわらず、自転車を運転して本件横断歩道に進入した原告の過失によるものであるから、自動車損害賠償補償法三条本文所定の損害賠償責任がない。

第三当裁判所の判断

一  被告堤は、中野方面から阿佐谷方面に向けて被告車を運転していたところ、自車の対面信号が青であつたため、本件横断歩道を通過しようとした。

一方、原告は、飲酒の上、大森方面から板橋方面に向けて歩道上を自転車を運転していたところ、本件横断歩道の信号が赤(大森方面から板橋方面に向かう車道の信号も赤。以下同じ。)であるにもかかわらず、本件横断歩道に進入した。そのため、被告車が自転車と衝突し、原告は、頭部打撲、左頭蓋骨欠損、急性硬膜下血腫の傷害を負つた。

これらの事実は、甲第一〇号証、第一一号証、第一四五号証の一ないし三、証人中村公俊、証人唐沢智彦の各証言、被告堤洋一の供述、弁論の全趣旨により認めることができる。

二  次に、被告らの主張につき判断する。

1  被告車の左前方には、高さ一・八五メートルのコンクリート塀、信号機の柱、ガードレールがあり、また、右コンクリート塀から本件横断歩道までに存する歩道の幅が一・九メートルしかないから、被告車から右歩道上にいるものの動静を確認するのが困難な状況にある(甲第一〇号証、第一一号証、第一八二号証、第一八三号証、第一八四号証、第一八五号証、第一九二号証、第一九三号証、第一九八号証、証人唐沢智彦の証人調書一四項、被告堤の本人調書三三項)ため、自転車が別紙現場見取図の〈ア〉(以下の、〈2〉、〈ア〉、〈×〉は、いずれも別紙現場見取図の記号である。)に来るまで、被告堤が自転車を発見できなかつたとしてもやむを得ないところである。

右事情に加え、本件横断歩道の信号が赤であつた(前記一)から、本件横断歩道に進入するものがいないと考えるのが通常であること、自転車の速度がかなり速かつたこと(証人中村公俊の証人調書八項・一九項、証人唐沢智彦の証人調書三項・五項、被告堤の本人調書三四項)を併せ考えると、被告車が〈2〉の位置に、自転車が〈ア〉の位置にそれぞれ来たときに初めて、被告車から自転車を発見し得たと認められる(なお、被告堤の供述(同人の本人調書四項、三四項)も同趣旨である。)。

2  また、自動車の急ブレーキを掛けた際の空走時間は、〇・六秒ないし〇・九秒である(鑑定書一九頁)ところ、時速四〇キロメートル(被告車の進行していた道路の最高速度であることは甲第一〇号証及び第一一号証の各現場見取図の交通環境欄のとおりである。なお、時速四〇キロメートルは秒速約一一・一一メートルである。)の自動車の空走距離は、六・六六六メートルないし九・九九九メートルとなり、時速四〇キロメートルの自動車が急ブレーキを掛けた際の制動距離は、舗装されており乾燥していた道路(被告車が進行していた道路が舗装されており乾燥していたことは甲第一〇号証、第一一号証の各現場見取図の道路状況欄参照)において、約八・八二メートルである(当裁判所に顕著である。)。そうすると、時速四〇キロメートルで走行している自動車が急ブレーキを掛けた場合、停止するに要する距離は、最短でも、右六・六六六メートルに右約八・八二メートルを加えた約一五・四八六メートルとなる。

そして、〈2〉から〈×〉までの距離が一二・二二メートルである(甲第一〇号証の現場見取図の測定距離欄参照)から、〈2〉にいる被告車が、〈ア〉にいる自転車を発見して急ブレーキを掛けた際、仮に被告車が時速四〇キロメートルで走行していたとしても、被告車が停止するまでに最短でも約一五・四八メートルを要するので、被告堤は、本件交通事故を避けられなかつたと認められる。

すなわち、被告車の速度が時速五〇キロメートル(甲第一四七号証)、あるいは、時速四五キロメートルないし時速四八キロメートル(鑑定書二頁)であつたとしても、本件交通事故を避けられなかつたのであり、したがつて、被告堤には過失はないといわざるを得ない。

3  以上のことからすれば、原告に、本件横断歩道の信号が赤であるにもかかわらず、本件横断歩道に進入したという過失があること、被告堤に過失がないことが認められ、したがつて、被告らの主張は理由がある。

三  一方、原告の主張(1)は、仮に被告車が時速四〇キロメートルで走行したとしても本件交通事故を避けられなかつたこと(前記二)、夜間の走行であり、被告車の進行していた道路の左前方の見通しが悪いとしても、本件横断歩道の信号が赤である事情を併せ考えれば、被告車が直ちに減速すべきといえないことからすれば、理由がない。

また、原告の主張(2)は、本件では交差点において交通整理が行われている(甲第一〇号証、第一一号証、第一四五号証の一ないし三、第一五〇号証ないし一六三号証、第一七八号証ないし一九七号証、証人中村公俊、証人唐沢智彦の各証言、被告堤洋一の供述、弁論の全趣旨)から、本件交通事故につき道路交通法四二条一号が適用されない上に、その趣旨を本件に適用すべき根拠がないことからすれば、理由がない。

そして、原告の主張(3)は、被告堤が、自車の対面信号が青であつたため、本件横断歩道を通過しようとし、これに対し、原告が、本件横断歩道の信号が赤であるにもかかわらず、本件横断歩道に進入したこと(前記一)、被告堤に過失がないこと(前記二)からすればその前提を欠き、理由がない。

四  よつて、被告堤は、過失がないから民法七〇九条所定の損害賠償責任を負うことはなく、また、被告会社は、本件交通事故の原因が原告の過失によるものであるから、自動車損害賠償補償法三条本文所定の損害賠償責任を負うことはないので、主文のとおり判決する。

(裁判官 栗原洋三)

別紙 現場見取図

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